自己紹介
- 2021年5月19日
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こんにちは、このブログをご覧いただきありがとうございます。
はたなかクリニック院長の畑中雅喜です。
このブログでは、総合内科専門医として内科全般の話題や、また腎臓専門医として、腎臓についての話を書いていこうと思います。たまには全然関係ない話も書こうと思っています。
まず今回は私の自己紹介をしようと思います。
初期研修の2年間
2004年に大阪大学医学部を卒業して医師免許を取得しました。
まず最初の2年間は大阪南医療センターで初期研修を行いました。
初期研修を始める時には、何科を専門にするかはまだ決めていなかったのですが、最初にローテートしたのがたまたま腎臓内科で、その時に在籍していた先輩医師があまりにも優秀で、憧れたことが腎臓内科を目指すきっかけになったことは間違いありません。
その後も内科全科や麻酔科、産婦人科、小児科、放射線科、泌尿器科、精神科、保健所などを2年間かけてローテートしました。
最初は本当に何もできませんでした。
医師になって最初の土曜日に病棟に入院患者さんの様子をみにいった時に、看護師さんから「患者さんが便秘なので、便秘の薬を出してください」
と言われたのですが、
「便秘の薬。。。ってどんな薬があるの!?」
という状態でした。
周りに先輩医師もおらず、結局は看護師さんに
「便秘の時によく使う薬ってなんですか?」
と聞いて処方したのをよく覚えています。
2年間で各科の先生方や看護師さん、薬剤師さん、臨床工学技士さん放射線技師さんなどにいろいろなことを教えていただきました。
救急蘇生法や外傷対応を救急救命士さんに教わったこともあります。
この2年間で色んな人の助けを借りて、医師としての基本的な仕事は出来るようになり、通常は次に自分が決めた専門科にすすむことになります。私は腎臓内科を専門とすることに決めていましたが、医局に1年間猶予をいただいて中河内救命救急センターに行くことにしました。患者さんが目の前に運ばれてきた時の初期対応が不安だったためです。
救命救急センター
中河内救命救急センターは30床しかなかった小さな病院ですが、他の大きな総合病院などでは対応が難しい重症患者さんや、多発外傷で今にも命の危機に陥っている患者さんが運ばれてくる病院です。いうなれば「最後の砦」的な存在です。そのため多数の医師、看護師、薬剤師、検査技師、臨床工学技士、放射線科技師、事務員などで構成されています。
見るものすべてが初めて経験するような症例、処置、デバイスなどばかりで日々勉強でした。ただ、最初はどうしても研修医気分が抜け切れておらず、「医師としての自覚が足りない」という現実を何度も突きつけられました。それでも指導してくださる先生方や多くのスタッフ、また同僚に支えられて日々の業務に向き合い、時にはバスケットボールやフットサルなどにも誘っていただき楽しく研修することができました。ある程度業務に慣れ、必要最低限の処置もこなせるようになってきた頃に1年がたち、研修終了となりました。
腎臓内科研修開始
中河内救命救急センターの次は大阪労災病院での勤務となりました。いよいよ腎臓内科としての研修の開始です。
腎臓内科で診療する内容としては、慢性腎臓病(腎機能が徐々に低下している状態。投薬が不要で生活指導だけでいい場合から投薬が必要不可欠な場合、さらに増悪すると透析が必要となります)やなんらかの腎炎(尿潜血や尿蛋白を呈し、放置すれば腎機能が低下する可能性のある状態)、電解質異常(ナトリウムやカリウム、カルシウムといったミネラルの異常)、腎臓に影響を与える疾患としての高血圧や糖尿病、脂質異常症(高脂血症)、高尿酸血症などの生活習慣病や感染症、膠原病、血液疾患などの診断・治療、あるいは腎機能が低下するために生じる症状としての体液管理、電解質異常、貧血治療などがあります。また、腎機能が低下したために血液透析が必要となる患者さんの治療なども行います。
ここでも指導してくださる先生方にめぐまれて腎臓内科としてはもちろん、内科としての基本をたたきこんでいただきました。部長先生も非常に指導熱心な先生で、日常診療についてももちろん、学会発表なども積極的にさせていただきました。
続いてりんくう総合医療センターでの勤務です。
ここでの勤務は体力的にはなかなかきつかったのはありますが、それでも腎臓内科として、内科として、さらには医師としてより高度な内容の指導を受け、非常に充実していました。また、腹膜透析についてもたくさんの症例を経験することができ、その基本を学ぶことができました。部長先生が非常にパワフルな方で、ついていくのに必死で、結果的には全くついていけなかったというのが正直なところではありますが、とても貴重な時間であったことは間違いありません。
また、院内の感染対策チームにも参加し、感染症対策の現場の勉強もさせていただきました。
大学院進学
次に大阪大学大学院医学系研究科へ進学しました。最初の1年間は大学病院へ入院されている患者さんの診療を担当し、残りの3年間は基礎研究を行いました。その間は、患者さんの診療を行う、ということはかなり少なくはなったのですが、その代わり、基礎研究というものの基礎を学びました。基礎研究というのは患者さんを相手にした研究ではなく、細胞や動物を対象にして研究を行うことで病気の仕組みや体の中でおこっている現象、または治療薬がどのような効果があるかを詳しく調べることです。
それまでの患者さん相手に行ってきたこととは全く異なることを一から勉強していくことは大変でしたが、それはそれでなかなか楽しく興味深い経験でした。
3年間というと長いようの思いますが、一から始めて結果を出すには私には難しく、結果的には4年かかってしまいましたが、研究テーマを与えていただいた教授や、直接指導してくださった先生方、実験助手さん、秘書さん方のおかげでなんとか論文を1つまとめることができ、それをもって博士号を取得することができました。
初期研修を行った大阪南医療センターへ
大阪大学大学院を卒業後、大阪南医療センターでの勤務となりました。ここは医師になって初期研修を受けた病院です。以前お世話になった先生や看護師さん、臨床工学技士さんなどがいて、懐かしい気持ちで働き始めることができました。以前は初期研修医という立場でしたが、今回は常勤のスタッフという立場で、研修医にも指導をしていくことになりました。なにか不思議な気持ちでしたが、自分がしてもらったように、しっかりと後進を育てていくのも大事な仕事として取り組みました。
腎臓内科としては腎臓専門医として、内科としては総合内科専門医として専門外来を行い地域への貢献を目指しました。時には地域の先生方へ腎疾患についての啓発なども行い、なるべく早期に疾患を見つけ、患者さんの病状が悪くなる前に治療できるように、また悪くなってしまっても、患者さんや家族のの負担をなるべく抑えながら治療出来るように心掛けていました。腎機能が廃絶してしまった場合は血液透析はもちろん、腹膜透析も積極的に行いました。大阪大学関連病院としては有数の腹膜透析患者数を誇るりんくう総合医療センターと大阪南医療センターで勤務できたのは良かったと思います。
栄養サポートチームの一員として患者さんを栄養面から治療の手助けをする方法を勉強したり、救命処置の講習に参加して急変した患者さんへの対応を勉強したり、様々なことを勉強させてもらいました。
自己紹介のつもりで書き始めたのですが、振り返ってみると、常にたくさんの先生方や看護師さん、臨床工学技師さん、薬剤師さん、放射線技師さん、栄養士さん、ソーシャルワーカーさんなど、あげだしたらキリがない方々に支えられて今の自分があることを改めて認識できました。患者さんにも支えられてるところもあると思います。
感謝、感謝です。
これからも皆で協力しながら患者さんの健康を支えることができるようにがんばりますので、よろしくお願いします。
2021/05/18 畑中雅喜